サチの場合 [ミニ小説]
あの日サチが会社に向かっている途中、道端にうずくまっている老女がいた。
自転車を止めて声をかけると、転んで足をくじいたと言う。
「だいじょうぶですか?頭を打ったりしていないですか?」
声に出さないものの、しっかりと首を振るので、そのままサチはおぶって近くの病院まで連れて行った。結果は軽いねんざで、帰ってもよいと医者に言われたため、サチはタクシーを呼んで老女を乗せ、会社に行くことにした。
「おばあちゃん、これ、私の名刺。何か困ったことがあったら連絡してね。」
思えば、それがよかったのか、悪かったのか─数日後、連絡をくれたのは老女の息子夫婦だった。
「え…おっしゃっている意味がわからないんですけど…」
驚くサチに、会社へ半ば押し掛けるように来たその息子夫婦はイラつきながら同じことを言った。
「だから、治療代。あんたが自転車でぶつかってうちの母親にケガさせたんでしょ」
「おば…あなたのお母様がそうおっしゃったんですか?もう仕事に戻らなければならないので、週末にでもお会いしてお話しできませんか。お母様も一緒に。」
呆れたような笑いを含め「わかったよ」と言って2人は去って行った。
なぜこんなことになってしまったのだろう?サチはひたすら困惑しながら週末を迎えた。
「ね、そうなんでしょ。お母さん。この人がぶつかって、よろけて転んだんでしょ」
老女はあの時と同じように、声に出さずしっかりと首を振ったが息子夫婦はとりあわなかった。結局サチは、治療代という数万円を払ったのである。
正直面倒くさいというのもあった。でも何か事情があって、それをつきとめようとすると老女に負担がかかるような気がして払ってしまったのだ。
幸い、それ以降息子夫婦からの連絡はなかった。
その代わり、老女から連絡が来た。彼女はただ謝るばかりでサチが払った金額の倍を返そうとした。サチはそこまで言うのならと払った分だけ受け取ったのである。
その後、私たちは近所を散歩したり、サチの家でお茶を飲みながらたわいもない話をしてまるで年の近い友達のように楽しい時間を過ごすようになった。老女は、少女のようにかわいく賢かった。
しかし、そんな日々も長くは続かなかった。
あの日、老女に雇われたという男性がサチを訪ね「あなたが遺産を継ぐことになりました」と告げたとき、終わってしまったのだ。
─「ねえ、昔話してくれたあのもう1人のサチの話、あれお母さんのことでしょう」
「あらやだ。わかっちゃった?」
「ばればれだから。童話ならまだしもね。」
コロコロと笑う母は、少女のようにかわいい。だが、次の瞬間、スッと真剣な面持ちになって、言った。
「実はね。その遺産、遣わずにとってあるの。」
私は驚きのあまり声が出なかった。
「あなたにも言おう言おうと思っていてね。お父さんは、君が受け継いだものなんだから自由にしていいと思うよ、て言うんだけど…」
「お父さんは知ってたんだ。」
「そりゃあね。でもそう言うばかりで、困っちゃうのよね。サッチャンならどうする?」母がまるで子供に思えて、私は思わず笑ってしまった。これが母なのだ。
「うーん、じゃあ寄付するとか?そういうとこ、調べてみようか。」
すると今度は母が母らしくやさしく微笑んで言った。
「よかった。やっぱりサッチャン、うん、サチだわ。」
「えーなによ。気持ち悪いなぁ~」
「お母さん、サチに遣ってもらいたいの。」
そう言って、母は通帳や印鑑一式を私に力強く渡した。
実は、あの話には続きがある。
老女が「サチエ」とサチと似たような名前だということ。そして遺産を取られたはらいせにいやがらせをしようとした息子夫婦から母を守ったのは、遺産受領を告げた男性であり、私のお父さんだということ。
「お母さん、私、お母さんと同じことをするよ。」
そう、今、私のおなかにいる、この子に。
自転車を止めて声をかけると、転んで足をくじいたと言う。
「だいじょうぶですか?頭を打ったりしていないですか?」
声に出さないものの、しっかりと首を振るので、そのままサチはおぶって近くの病院まで連れて行った。結果は軽いねんざで、帰ってもよいと医者に言われたため、サチはタクシーを呼んで老女を乗せ、会社に行くことにした。
「おばあちゃん、これ、私の名刺。何か困ったことがあったら連絡してね。」
思えば、それがよかったのか、悪かったのか─数日後、連絡をくれたのは老女の息子夫婦だった。
「え…おっしゃっている意味がわからないんですけど…」
驚くサチに、会社へ半ば押し掛けるように来たその息子夫婦はイラつきながら同じことを言った。
「だから、治療代。あんたが自転車でぶつかってうちの母親にケガさせたんでしょ」
「おば…あなたのお母様がそうおっしゃったんですか?もう仕事に戻らなければならないので、週末にでもお会いしてお話しできませんか。お母様も一緒に。」
呆れたような笑いを含め「わかったよ」と言って2人は去って行った。
なぜこんなことになってしまったのだろう?サチはひたすら困惑しながら週末を迎えた。
「ね、そうなんでしょ。お母さん。この人がぶつかって、よろけて転んだんでしょ」
老女はあの時と同じように、声に出さずしっかりと首を振ったが息子夫婦はとりあわなかった。結局サチは、治療代という数万円を払ったのである。
正直面倒くさいというのもあった。でも何か事情があって、それをつきとめようとすると老女に負担がかかるような気がして払ってしまったのだ。
幸い、それ以降息子夫婦からの連絡はなかった。
その代わり、老女から連絡が来た。彼女はただ謝るばかりでサチが払った金額の倍を返そうとした。サチはそこまで言うのならと払った分だけ受け取ったのである。
その後、私たちは近所を散歩したり、サチの家でお茶を飲みながらたわいもない話をしてまるで年の近い友達のように楽しい時間を過ごすようになった。老女は、少女のようにかわいく賢かった。
しかし、そんな日々も長くは続かなかった。
あの日、老女に雇われたという男性がサチを訪ね「あなたが遺産を継ぐことになりました」と告げたとき、終わってしまったのだ。
─「ねえ、昔話してくれたあのもう1人のサチの話、あれお母さんのことでしょう」
「あらやだ。わかっちゃった?」
「ばればれだから。童話ならまだしもね。」
コロコロと笑う母は、少女のようにかわいい。だが、次の瞬間、スッと真剣な面持ちになって、言った。
「実はね。その遺産、遣わずにとってあるの。」
私は驚きのあまり声が出なかった。
「あなたにも言おう言おうと思っていてね。お父さんは、君が受け継いだものなんだから自由にしていいと思うよ、て言うんだけど…」
「お父さんは知ってたんだ。」
「そりゃあね。でもそう言うばかりで、困っちゃうのよね。サッチャンならどうする?」母がまるで子供に思えて、私は思わず笑ってしまった。これが母なのだ。
「うーん、じゃあ寄付するとか?そういうとこ、調べてみようか。」
すると今度は母が母らしくやさしく微笑んで言った。
「よかった。やっぱりサッチャン、うん、サチだわ。」
「えーなによ。気持ち悪いなぁ~」
「お母さん、サチに遣ってもらいたいの。」
そう言って、母は通帳や印鑑一式を私に力強く渡した。
実は、あの話には続きがある。
老女が「サチエ」とサチと似たような名前だということ。そして遺産を取られたはらいせにいやがらせをしようとした息子夫婦から母を守ったのは、遺産受領を告げた男性であり、私のお父さんだということ。
「お母さん、私、お母さんと同じことをするよ。」
そう、今、私のおなかにいる、この子に。
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