動く家、仮の家@国立近代美術館 [キーワード]
生きている間に知ることって意外と少ないんだな、と最近とみに思う。
もはや週に1回は訪れている「夏の家」の、青空教室に参加した。事前資料であるPDFをダウンロードしてスマホのiBooksに同期させる。準備万端の参加、のはずだった。
それでも強烈に惹きつけられたのはどこかにそう願う生活を考えていたからだろう。「動く家、仮の家」が今回のテーマだ。
動く家、モバイルハウス─前年の震災で前のめりに考えるテーマとなったのは皮肉だが、自分に合ったライフスタイルをやみくもにスタートする前に過去の様々な事例から確立された提唱にまず、耳を傾ける方がよい。
建築家でありながら12ボルトの発電で生活の限界を試みている坂口恭平さんは、皆が皆、そういった取り組みをするべきだと言っているのではなく、どこまでミニマムに耐えられるかを試行することこそが「独立」の第一歩なのだと言う。やってみることは悪くないと。そんな坂口さんはポルトガルのリスボンでモバイルハウス生活を実践中だ。今回はスカイプでの参加となる。
坂口さんの著書『独立国家のつくりかた』に共鳴したという中谷礼仁さんは千葉大の学生たちと千年続く村・古凡村を研究している。そこから学ぶことは必ずあると。中谷さんの歴史工学というのは歴史的な建築物や文献をそのまま歴史上のものとして崇めているだけでなく、今のものもひっくるめてすべてフラットに活用するというジャンルだ。
防災研究所に身をおく牧紀男さんは、とっさのときに動けるかどうかが生き残るすべだと言う。知恵を得て原理を知り、自分で考える生き方が今個人につきつけられている。現状を知る上で精神的な生き方でなく、もっと原始的なところでどう生きるかということだ。
3名に共通するのは、ただ法律通りに建築する建築家でなく、自然のエネルギーに熟知して活用できる柔軟で様々なレイヤーにたつ建築家が今後求められるということだ。
ここには子供連れで来ている方も多いが、ぐずる子供はいなくてオープンな場で大声で走り回る様子がほほえましかった。ふと気づいたのが当たり前だが、ぜんぜん耳障りじゃないということだ。閉じられた空間同士で聞く生活音は耳障りだが、周りの人の人となりを知り、物理的にも精神的にも開けた条件下ではここちよく変換できる要素が多く存在する。
冒頭に戻るが、「知らない」「気づかない」でこの世を終えてしまうと思うと正直あせる気持ちもある。ただ、自分の「ここちよい」「好きなこと」に連鎖して自然と広がるんだろう。まずは「ここちよい」「好き」と素直に感じて行動することが大切なのだと思った。
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